何から考えればいいかわからない

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問いを持っている。だが、どこから手をつければいいかわからない。
そういう状態があると思う。問題があることはわかっている。何かを考えなければならないこともわかっている。だが、最初の一歩がどこにあるか見えない。

「わからない」の内側にあるもの
「何から考えればいいかわからない」という状態は、思考の欠如ではない。
むしろ逆に、考えるべきことが多すぎる状態に近い場合が多い。複数の問いが絡まっていて、どれが「本当の問い」なのかが見えない。
あるいは、問い自体がまだ言語化されていない段階にある。感覚としては何かがある。だが、それが何なのかを言葉にできていない。

絡まりの構造
たとえば、ある人が「キャリアについて考えたい」と感じているとする。
だがその問いの中には、「今の仕事への疲れ」「将来への不安」「自分に何ができるかという問い」「周囲の期待への応答」が混在している。
これらはすべて別の問いだ。だが絡まった状態では、ひとつの大きな「モヤ」として体験される。
この状態で「何から考えればいいか」と問うことは、糸の束を前に「どこを引けばほぐれるか」を問うことに似ている。

整理しようとしなくてもいい
こういう状態にあるとき、まず整理しようとすることが多い。頭の中を可視化しよう、問いを書き出そう、優先順位をつけよう。
それが合う人には有効だ。だが、整理しようとすること自体がエネルギーを消耗することもある。
整理しなくても、ただ「今こういう状態にある」と認識するだけでも、一つの出発点になる。

「何から」ではなく「今どこにいるか」
「何から考えればいいか」という問いは、前提として「正しい入口がある」という仮定を含んでいる。
だが実際には、どこから入っても絡まりはほぐれないこともある。問いは考え始めてから変化する。最初に立てた問いが、途中で別の問いに変わることもある。
だから「正しい入口」を探す前に、「今自分はどこにいるか」を確認することが、先にくる場合がある。

何もわからないままでいることの許容
「何から考えればいいかわからない」という状態を、すぐに解消しなくてもいいかもしれない。
その状態のまま少し時間を置くことで、自然に問いの形が見えてくることがある。
急いで入口を見つけようとしなくても、問いはそこにある。

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